Ys AQUA

アクアリウム、グルメ、ゲーム、インドア系情報ブログ。

【2026年版】「ブログはオワコン」と言われても、私がブログを書き続ける理由

記事に広告を含みます

「ブログはもうオワコン(終わったコンテンツ)」

そんなフレーズを、ここ数年で何度耳にしたかわかりません。

ショート動画やTikTok型のコンテンツが一気に広がり、X(旧Twitter)やInstagramのような短文・短尺SNSが情報収集の主流になりました。画面をスワイプすれば次々と刺激的な情報が流れてくる世界で、数千字のブログ記事をじっくり読む人は確かに減っています。

忙しく、常に急かされているような今の社会では、「腰を据えて文章を書く・読む」という行為そのものが、時代遅れに見えるのかもしれません。

合わせて読みたい
ysaqua.com

オワコンと言われようが、私は今日も文字に向き合っています。この記事は、収益化のジレンマに悩み、「面白いブログとは何か」を考え抜いた、いちブロガーの等身大の記録です。

スポンサーリンク

1 なぜ「ブログはオワコン」と言われるようになったのか

「ブログがオワコン」と言われる理由は、技術的な変化というよりも、もっとシンプルです。それは、“稼ぐことだけにフォーカスしすぎてしまったから”に他なりません。

1.1 読者が置き去りにされた瞬間から、崩れ始めた

少し振り返ると、ブログが「稼げる副業」として認識され始めた頃から、発信の空気は大きく変わりました。

読者不在のSEO記事

検索上位を狙うためだけに、キーワードを機械的に詰め込んだ記事。「〇〇とは?」「メリット・デメリット」「まとめ」という教科書のような構成で、誰が書いても同じ内容になる量産型コンテンツ。

アフィリエイトありきの不自然な記事

本当におすすめしたいわけではない商品を、高い報酬単価だけを基準に選んで紹介するレビュー。読み進めるほどに「読者のためではなく、報酬のためだな」と透けて見えてしまう構成。

コタツ記事と情報の均質化

他のサイトや書籍を寄せ集めただけのまとめ記事。テンプレ通りに情報を整理しているだけなので、どのブログを読んでも書いてあることがほぼ同じになる現象。

もともとブログは、「個人の日記」や「趣味の記録」、「ニッチなテーマの知識共有」など、熱量の高い個人の発信が中心でした。

ところが、AIによる大量生成が簡単になったことも重なり、「とにかく効率よく収益化すること」だけがブログ運営のゴールのように扱われ始めました。その結果、ブログから「人間味」や「個人の熱」が少しずつ消えていったのです。

1.2 SNSやYouTubeにも起きている「均質化」の波

これはブログに限った話ではありません。今のSNSやYouTubeにも、全く同じ空気を感じます。

本来、SNSは「短い文章で、気軽に情報や感情をシェアできる」ことが魅力でした。それが今では、無理やり引き伸ばされた長文ポストや、「実は…」「それは...」と結論を出し渋ってインプレッションを稼ぐ投稿など、アルゴリズムを“ハック”することだけを目的にした発信がタイムラインを埋め尽くしています。

YouTubeでも、好きで見ていた個人のチャンネルが、登録者が増えた途端に案件動画ばかりになり、「視聴維持率」や「クリック率」といった指標のみを気にした構成に変わってしまう変化を、多くの人が経験しているはずです。

合わせて読みたい
ysaqua.com

私は、収益化に挑戦すること自体は賛成です。実際、私自身もGoogleアドセンスから少額ながら収益を得ています。ただし、「稼ぐことに意識が寄りすぎた瞬間に、発信の軸がぶれやすくなる」という現実は、身をもって経験してきました。

1.3 「稼ぐ」に偏りすぎると、自分の文章がつまらなくなる

私は現在、はてなブログとアメブロの2つを運営しています。

はてなブログ
  • アドセンスを貼っており、収益が出ている
アメブロ
  • ほぼ収益化を考えず、日記や趣味の発信が中心

この2つを何年も書き続ける中で、はっきりと違いを感じました。

収益を意識しているはてなブログでは、「このキーワードで検索上位を取りたい」「この構成だとSEO的によくないかも」「収益記事だから変なことは書かないほうがいい」と、常に正解っぽい形を追いかけてしまい、書いている自分がどこか窮屈で、本音を出し切れていない感覚に陥ります。1記事書き上げるのに数日かかることも珍しくなく、見直してはリライトするうちに、文章がどんどん無難になっていきました。

一方でアメブロでは、ほとんど何も考えず感情のままに書け、自分の言葉がスラスラと出てきます。読み返しても「これが素の自分だな」と心から思えます。

皮肉なことに、“お金になるほうのブログ”でこそ、自分の本当の言葉を出しにくくなるというジレンマを、私はずっと抱えてきました。

スポンサーリンク

2 検索上位ブログと「面白いブログ」はまったくの別物

そもそも、「検索で上位にくるブログ」と「読んでいて面白いブログ」って、実はまったくの別物なんですよね。

2.1 検索上位にいるのは「まじめな優等生」

何か知りたいことがあって検索し、上位表示された記事を読むと、知りたい情報は確かに載っており、誤字脱字もなく読みやすい。構成もきちんとしていて網羅的です。

なのに、読み終わったあとに「情報はわかったけど、なんだか味気ないな」と感じることはありませんか?

検索上位にいるブログは、目次や見出しがきれいに整えられ、辞書のように情報が構造化されています。検索キーワードが最適化され、読者を選んでしまう強い主張や偏った意見は排除された、誰が読んでも理解できる「無難な文章」です。

「今すぐ疑問を解決したい」という検索ニーズに応えるSEOの観点からは非常に正しい戦略ですが、そこからは筆者の個性や感情の揺れといった「人間らしさ」が削ぎ落とされています。

2.2 「面白いブログ」は、クセの強い転校生

一方で、「面白かった」「また読みたい」と感じるブログは、検索結果の1ページ目にはほとんど出てきません。SNSのリンクやブックマークから偶然見つけるこれらのブログは、例えるなら教室の隅にいるクセの強い転校生のような存在です。

圧倒的な「個」の視点がある

一般的な正解よりも、筆者自身の偏見や生々しい失敗談が前面に出ており、「自分はこう感じた」が基準になっている。

予定調和を平気で崩してくる

いきなり遠回りの雑談から始まり、教科書的な構成を無視して会話のようなテンポで進む。

読者の感情を直接揺さぶる

「それ、わかる!」「くだらないけど好き」と思わず心の中でツッコミを入れたくなる。

このタイプのブログは、もはや「情報を得るため」の場所ではなく、その人の文章を読むこと自体が楽しいコンテンツになっています。検索アルゴリズムの大規模アップデートのたびに順位からは埋もれがちですが、刺さる人には深く刺さり続けるのです。

私自身、アクアリウムやゲームといった自分の趣味のほかに、日本の伝統文化、車やバイク、釣り、旅行など、全く詳しくないジャンルのブログを読むことがよくあります。知識がなくても、「この人、本当に好きなんだな」という熱が伝わってくるブログは、ジャンルを問わず読んでいて楽しいものです。調べ物のつもりが、いつの間にか過去記事までさかのぼって読み漁ってしまう。こうしたブログにこそ、本来の魅力が凝縮されていると確信しています。

3 それでも私がブログを書き続ける3つの理由

「稼ぐためのツール」としてのブログバブルが終わりつつある今、なぜ私がブログを書き続けているのか。その理由を3つお伝えします。

理由1:思考を深く掘り下げ、言語化する最高のツールだから

140字の短文や30秒のショート動画は、一瞬の感情やひらめきを切り取るには向いていますが、「もやもやした感情の正体を整理したい」「自分の考えを深掘りしたい」といった思考のプロセスを扱うには、どうしても情報量が足りません。

数千字レベルでじっくり文章を書く行為は、頭の中に散らばった感情や記憶を順序立てて並べ直し、書きながら自分でも気づいていなかった本音に出会う「自分自身との対話の時間」になります。

私にとってブログは、誰かに見せるための文章であると同時に、自分の思考を整理するためのノートです。情報が多く感情が消費されやすい時代だからこそ、じっくり文字を書く時間は以前よりも価値が上がっていると感じています。

理由2:誰かの深い悩みに、ピンポイントで寄り添えるから

SNSは「その場のノリ」や「今この瞬間の話題」と非常に相性がよいメディアですが、人が本当に深く悩み、具体的な解決策を探し始めたとき、最後に頼りにされるのは今でもテキスト情報です。

私自身、ブログ運営でつまずいた経験、趣味のアクアリウムでの失敗談、人とかかわることへの苦手意識など、決してきれいごとではない失敗談をありのままに書いてきました。

その記事に、数か月後や数年後になって検索経由でたどり着いた方から、「同じことで悩んでいて救われました」「ここまで正直に書いてくれている記事は少ないので安心しました」というメッセージをいただくことがあります。

アクセス数だけを見ればバズっている記事ではありませんが、どこかの誰か1人の人生に、ピンポイントで届いているという確かな実感があります。検索エンジンを通じて、必要とされるタイミングで必要としている人に見つけてもらえる。「深く、細く届く感覚」はブログならではの魅力です。

理由3:「自分」というデジタル資産が、確実に蓄積されていくから

トレンドだけを追いかけて作られたコンテンツは、流行が過ぎれば見向きもされなくなります。一方で、自分がそのとき何を考えていたか、何に悩みどう乗り越えたのかという「自分の本質」に近い文章は、時間がたっても価値がまったくゼロにはなりません。

実際、私は過去に書いた記事を数年ぶりに読み返して、当時の未熟さに苦笑いしたり、「この視点は今でも大切にしたい」と再確認したり、忘れかけていた感情に逆に励まされたりという体験を何度もしています。

ブログは書いた瞬間に消えていくフロー型コンテンツではなく、時間とともに積み重なっていくストック型のメディアです。1記事1記事は小さくても、自分の人格の一部として、あるいは将来の新しい出会いのきっかけとして、静かに蓄積されていきます。私にとってブログは、収益だけで測れない、自分の人生の軌跡を記録する場所なのです。

4 「オワコン」だからこそ、ブログは面白くなってきた

「ブログ オワコン」と検索すると、「使い方次第でまだまだ……」といった情報も出てきますが、その中身はやはり「どうやって稼ぐか」というマネタイズの視点が中心です。

繰り返しになりますが、私は「好きなことでお金を稼ぐ」という発想自体は肯定したい側です。それでも今の空気を見ていると、こう感じずにはいられません。

  • 稼ぐためだけのブログの時代は、もう終わりつつある
  • ここから先は、自分の表現の場としてのブログに戻っていく

アクセス数や収益といった数字だけを追いかけた時代が落ち着きつつある今、ブログは本来の姿である「個人の純粋な表現メディア」としての立ち位置を少しずつ取り戻しています。

数字のプレッシャーから解放され、「稼げるから」ではなく「書きたいから」書く。「伸びるテーマ」ではなく「自分が好きなテーマ」を選ぶ。そんな原点回帰した今のブログ運営は、むしろ以前よりも自由で、風通しがよく、心から楽しいと感じています。

5 他人の「オワコン」に振り回されず、自分軸で続ける

結局のところ一番大切なのは、「自分が楽しいと思えるかどうか」です。

特定の個人・団体を中傷するような発信であれば立ち止まるべきですが、ただ自分の好きなことを書き、経験を記録し、誰かの役に立てばいいなと思って発信しているだけなら、「オワコン」かどうかは、本質的にはどうでもいい話だと考えています。

私もこれまでに何度も、「ブログって儲かるの?」「それ続けて何か意味あるの?」「その年でまだそれやってるの?」と言われてきました。でも、その人たちは、私がブログにどれだけ救われ、どれだけの気づきを得て、心のバランスを保つ役に立っているかを知りません。

そして残念ながら、人の感情や評価は簡単に変わります。

YouTubeだって一時期は散々悪く言われていましたが、人気が出たとわかれば、批判的だった著名人たちもしれっと参入してきました。ブログもまた同じことが起きるかもしれません。今「オワコン」と言っている人たちが、数年後に何事もなかったかのように「ブログで稼ぐ方法」を発信し始める可能性だって十分あります。

だからこそ、私はこう考えています。

こんな時代だからこそ、他人軸ではなく、自分軸で好きなことを続けていい。その1つの居場所として、ブログを持っていてもいいのだと。

スポンサーリンク

6 おわりに:いつまでも、自分のペースで書き続ける

「ブログはオワコン」と言われる時代に、あえてブログを続けることには、正直なところ迷いがなかったわけではありません。

それでも、自分の思考を深く掘り下げたいとき、誰か1人の悩みにじっくり寄り添いたいとき、自分の軌跡を形として残しておきたいとき、私が一番しっくりくる表現手段は、やはり「ブログ」でした。

これからも、世間の「オワコン」というラベルに惑わされず、自分のペースで、自分の言葉を、この場所に積み重ねていきます。

もし、あなたもどこかで同じような迷いを抱えているなら、「オワコンかどうか」ではなく、「それを続ける自分が好きかどうか」を、一度静かに確かめてみてください。

その答えが「Yes」なら、あなたのブログは、もう十分に続ける理由を持っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

スポンサーリンク

この記事を書いた人

ysaqua.com

スポンサーリンク